人生を重ねていくと、昔とは変わってきた、時代が変わってきた、と感じることが増えてきます。それだけ長い間、生きてきたということでもありますが、そういう変化を感じているという意味を感じ取っていくこと、考えていくことも大切になるときがあります。
実際の相談の場面でも、「私たちが育ってきたときとは・・・」「昔はこうではなかったのだけど・・・」という言葉だ、戸惑いを込めて使われることが多くあります。お話される方の真実として、その視点は疑う必要もありませんが。この観点、あるいは立ち位置だけでは、
現状を受け止めることが難しいことがあります。
多くの場合、言葉の通り、ご自身の体験がもととなった言葉になります。もちろん、まったくその通りであるのですが、これらの言葉のあとに、子供が理解できないあるいは、何が起こっているのかわからない、となるようなら、視点を変えていくことも大切になります。
例えば、子供さんたちのことについて語られているときにこの言葉が使われるとすると、子供たちの立場になると、あたりまえのことをしている、という感覚が前提になってきます。親御さんより短い体験のうえでの今この瞬間を生きているわけですので、昔と違っているという観点は、この時点では意味をなさないことが多くなります。
あくまでも、子供たち視点を知っておかないと、子供たちのことを理解することはできません。そのスタートラインにたって初めて、会話が成り立つことが多いように思います。親の生きてきた道、子供の生きている道、違うことは誰しもわかっているのですが、自身の体験と通した見方では、解釈として意味づけられ、理解には届かないことになります。
このものの見方は、実はあらゆる人間関係のシーンで見て取ることができます。確かに10年、20年前、30年前と大きな変化があったことは間違いありません。その変化を潜り抜けてきた人と、その変化の最中に身を置く人とでは、その視座が明らかに異なります。
昔と違う・・・・、そういった自信との体験との比較での視座は、自分とは異なる体験をしている人、と視点を移動して、もしその状況なら、と想像していく、それが理解の一歩となっていきます。
家族にしても企業にしても、問題として見えていることの多くには、この視点移動ができない状況であるほど、大きなものとして表れているように思えます。